V6:“持續工作25年的男人們”是這樣煉成的

25週年記念の最新シングルのキャッチコピーは「勤続25年の男たち」

V6為紀念出道25週年而發行的最新單曲,其宣傳語是“連續工作25年的男人們”。

V6:“持續工作25年的男人們”是這樣煉成的

1995年9月。それは、日本の男性アイドル史の転換點だった。しかしあのとき、それに気づいていた者は誰ひとりいなかったはずだ。25年が経った今、あの9月を振り返ってみて「あのときが転換點だった」と言える類のものである。V6が結成されて四半世紀。6人に軌跡を辿る。

1995年9月,是日本男性偶像史的轉折點。然而,那時候可能並沒有任何人注意到這點。在25年後的今天,再回顧那年的9月,才會發現“原來那時候是轉折點”。V6成軍時間已長達1/4個世紀,讓我們一起來回顧這6位成員的活動軌跡。

1995年9月3日。光GENJIが最後のライブを行い、解散した。

1995年9月3日。光GENJI進行了最後的演出並解散。

そしてその翌日、1995年9月4日。V6が結成され、デビュー會見が行われた。

隔天,1995年9月4日。V6正式結成,並舉行了出道記者會。

ジャニーズのグループが解散し、新たに別のグループが誕生する。それまでも続いてきたサイクルの、ひとつの終わりと、ひとつの始まりが起きただけのように思えるかもしれない。その新たな始まりは、またほどなくして終わりを迎えるのが常だった。

也許你會覺得,傑尼斯旗下的組合解散,然後又有新組合誕生,只是一個持續的循環,經歷一個結束,又迎來一個新的開始而已。而這個新的開始,不久後也會迎來結束,這是一種常態。

V6:“持續工作25年的男人們”是這樣煉成的

△剛出道不久時的V6

しかし、あれから25年。V6は、終わらずに続いている。

然而,自那之後25年。V6並未停止腳步,仍在繼續活動。

メンバーを変えずにこれだけの期間活動を続けている男性ボーカルダンスグループは、世界的に見てもバックストリート・ボーイズとV6くらいのものである。

放眼全世界,在成員未變的情況下,持續活動了這麼長時間的男性唱跳組合,大概就只有后街男孩和V6了。

もちろん、ジャニーズのアイドルとしても、珍しいことだ。

當然,這在傑尼斯偶像中也是非常罕見的情況。

80年代にデビューしたシブがき隊は6年、光GENJIは8年。

80年代出道的澀柿子隊的活動時長為6年,光GENJI的活動時長為8年。

1991年にデビューしたSMAP以降は、活動年數は飛躍的に延びたが、そのSMAPは2016年で解散。V6デビューの前年、1994年にデビューしたTOKIOは、山口達也の脫退に加え、長瀬智也が脫退を発表し、來年以降、形式を変えることになった。

儘管傑尼斯偶像組合在1991年出道的SMAP之後,活動年數大大增加,但SMAP最終於2016年解散。在V6出道的前一年、1994年出道的TOKIO,在山口達也退團後,長瀨智也也宣佈退團,明年TOKIO必然將改變活動形式。

少年隊も、長く事実上の活動休止狀態が続き、先日、錦織一清、植草克秀のジャニーズ退所が発表された。

少年隊也是常年維持著事實上的“活動休止”狀態,而日前,成員錦織一清、植草克秀雙雙宣佈將退出傑尼斯事務所。

つまりV6は、現在のジャニーズの中で、継続的に活動を続けているグループとして最長であり、他に類を見ないグループになっているのである。

也就是說,V6是現在傑尼斯藝人中持續活動年數最長的組合,也是獨一無二的組合。

10週年を迎えた2005年あたりから、個人活動が増加し始める

成軍10週年的2005年開始,V6成員的個人活動開始增加

V6の25年をざっくりと分けると、グループとしての知名度を高めていった最初の10年と、個人がそれぞれの分野で活躍しながらV6としても活動をする、という形式を模索し、それが定著した後半の15年、と言えるだろう。

將V6的25年大致劃分一下,應該可以分成:最初的10年提升組合整體的知名度,後15年是在摸索中找到並確定了“個人在各自領域活躍的同時作為V6成員進行活動”這一路線。

V6:“持續工作25年的男人們”是這樣煉成的

森田剛が「10週年まで6人でバーっと走り抜けて、それからの10年は、各自やりたいことを頑張って。V6でも集まって」(*2)と語るように、90年代後半は「愛なんだ」「WAになっておどろう」といったヒット曲も出て、レギュラー番組「學校へ行こう!」は高視聴率を記録し、人気を博した。

就像森田剛說的那樣“6個人是一起一口氣跑進了10週年。而那之後的10年,則是在各自想嘗試的領域裡努力。同時作為V6成員,也會聚在一起活動”。確實,V6作為一個組合在90年代後期推出了《就是愛》、《圍成一圈來跳舞》等熱門歌曲,常規節目《校園瘋神榜》創下了高收視率,並贏得了人氣。

そして10週年を迎えた2005年あたりから、個人活動が増加し始める。

此後,在迎來出道10週年的2005年左右,成員的個人活動開始增加。

この年は是枝裕和監督の映畫「花よりもなほ」の撮影が行われるなど、岡田準一の映畫出演が増加。

那一年,包括參與是枝裕和導演的電影《花之武者》的拍攝在內,岡田准一的電影出演工作有所增加。

また、劇団☆新感線や蜷川幸雄演出の作品に主演するなど、今や実力派の舞臺俳優である森田剛が初舞臺を踏んだ年でもある。

此外,那一年也是在劇團☆新幹線、蜷川幸雄導演的作品中擔任主演,如今已成為“實力派舞臺劇演員”的森田剛首次出演舞臺劇的年份。

それから15年の間の中で、2人以外にも、井ノ原快彥は司會者としてNHKの朝の顔を務めるまでになり、長野博はグルメ本を出すほどグルメを究め、坂本昌行はミュージカル俳優として地位を確立、三宅健は手話を覚えNHK「みんなの手話」のナビゲーターになり、パラリンピック番組のパーソナリティも務めた。

自那之後15年的時間裡,除了前面提及的2人之外,井之原快彥也作為主持人成了NHK的“晨間節目看板”;長野博則是去研究美食,水平達到了能出書的級別;坂本昌行則是確立了自己作為音樂劇演員的地位;三宅健則是學習了手語,成為NHK節目《大家的手語》的主持,還擔任了殘奧會節目的解說。

そう、それぞれが職人として時間をかけて技を磨き、各々の道を究めているのである

正像如此,V6的成員們紛紛作為專業匠人,花費時間去磨練技藝,探尋各自的道路。

6人中4人が結婚し、父になっているという現役のアイドルグループも珍しい

6位成員中有4位已婚·當爸,這樣的“現役偶像組合”也非常罕見

また、V6が語られるときには、その結婚率の高さと相手の豪華さもよく話題になるところである。2007年に先陣を切った井ノ原快彥は、ジャニーズとしては珍しく結婚相手である瀬戸朝香と並んで記者會見をした。

此外,提起V6時,該組合的結婚率之高以及結婚對象之豪華,也常常成為話題。2007年V6中首位結婚的井之原快彥,當時與妻子瀨戶朝香一同出席了記者會,這在傑尼斯藝人中是非常罕見的行為。

V6:“持續工作25年的男人們”是這樣煉成的

この時點で、SMAPは木村拓哉が結婚しているのみ、TOKIOに妻帯者はゼロだった。その後、2016年に長野博と白石美帆、2017年に岡田準一と宮崎あおい、2018年に森田剛と宮沢りえと続いた。現在、4人は父となっている。

在當時,SMAP僅有木村拓哉已婚,TOKIO則尚無一人娶妻。之後,2016年有長野博和白石美帆、2017年有岡田准一和宮崎葵、2018年有森田剛和宮澤理惠,這3對接連步入婚姻殿堂。現在,4人都當了爸爸。

6人中4人が結婚し、父になっているという現役のアイドルグループも珍しい。だがよくよく考えれば、10代半ばから20代前半の6人で結成されたV6も、最年少の岡田準一が今年40代に、最年長の坂本昌行は來年50代に突入する。

6位成員中有4位結婚·當爸,這樣的“現役偶像組合”也非常罕見。但是,仔細想想,其實當時年齡在16歲~25歲的6人組成的V6,年齡最小的岡田准一今年也40歲了,年齡最大的坂本昌行則將在明年進入50代。

無理をしすぎると25年も勤続はできない。もちろん色々な努力はしてきているはずだが、“何かを代償にしてアイドルをし続けている”というイメージがV6には薄いのだ。

如果過於勉強自己,是無法連續作為偶像工作25年的。當然,他們肯定是做了各種各樣的努力,但V6並沒有給人留下很強的“以某些東西為代價去持續偶像事業”的印象。

「アイドルグループはグループとして常に精力的に活動し続けねばならない」とか「アイドルは結婚してはいけない」という、誰が決めたわけでもない世間の空気を、V6は結果的に打ち破ったことになる。

“偶像團體就一定要作為一個整體隨時精力充沛地繼續活動”以及“偶像不可以結婚”這些並非由誰決定,卻被世人默認的想法,被V6從事實上打破了。

最近になって多様性という言葉が多く発される現代だが、V6は、アイドルとしての多様性について25年をかけて體現してきたグループなのである。

在現代,雖然“多樣性”這個詞是最近才被大量提及,但關於“作為偶像的多樣性”,V6卻是花了25年去將其展現出來。

V6:“持續工作25年的男人們”是這樣煉成的

それはもちろん「新しいアイドルの形を作ろう」といった気張ったタイプの意志に基づいたものではないはずだ。

這當然不是基於“去創造新的偶像形式吧”這樣充滿幹勁的意志所激發而得的結果。

V6が長く続いた理由を三宅健は「偶然の産物」として「続けるための策を練ったりしたことなんて、ありません」と語っているし、井ノ原も「誰にもやめる理由がなかったし、みんながそうしたいと思ってきたから」としている。(*3)

關於V6能長期存續至今的理由,三宅健表示“是偶然的產物”,他們“並沒有為了讓V6持續下去而做什麼應對措施”,井之原也表示“我們誰也沒有要辭職不幹的理由,(現在的狀態)是大家都想要這麼做才有的結果”。

さらに「途中でやめようと思ったら、たぶんやめられたんじゃないのかな。“仲間”とか“絆”とかいちいち確認し合ってるわけではなく、あくまでマイペース」(*3)と語るのも、絆がことさら強調される現代において、気負わすぎず、爽やかで心地いい。

此外,井之原還說,“如果中途誰想要不幹了的話,大概早就不幹了吧。我們並沒有一直在確認‘夥伴’‘羈絆’那些關係,就是我行我素一路走來”,像這樣,在強調羈絆關係的現代,V6並沒有過於逞強,而是保持著清爽的舒適感。

長野博は、1995年9月、V6結成時の記者會見でこう宣言していた。

1995年9月,長野博在V6成軍的記者會上曾這樣宣言:

「光GENJIのように一世を風靡し新しい時代を作っていきたい」

“我們希望像光GENJI那樣風靡一世,創造新的時代”

たしかに一世を風靡したあとに、彼らはそれで終わらずに、ゆっくりと新しい時代を作っていったのである。

的確,V6在風靡一世後,並沒有就此沉寂,而是慢慢地打造了屬於自己的新時代。

本內容為滬江日語原創翻譯,嚴禁轉載。


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