自分では買わない本に出會える 餘生,我想和你來一場新的邂逅

自分では買わない本に出會える 餘生,我想和你來一場新的邂逅

自分では買わない本に、出會える


僕(ぼく)は昔(むかし)から図書館(としょかん)が大好(だいす)きです。

我以前就很喜歡圖書館。

図書館(としょかん)に行(い)くと、みんな勉強(べんきょう)しているので、自分(じぶん)も勉強(べんきょう)したくなります。東京都(とうきょうと)の中央(ちゅうおう)図書館(としょかん)に行(い)った時(とき)に、小學生(しょうがくせい)がお父(とう)さんと勉強(べんきょう)していました。

去圖書館的話,因為大家都在學習自己也就變得想要學習了。之前去東京都的中央圖書館的時候,我看到了一個小學生和父親在一起學習。


自分では買わない本に出會える 餘生,我想和你來一場新的邂逅


それを見(み)ていると、突然(とつぜん)、僕(ぼく)の中(なか)で「小學生(しょうがくせい)がこんなに一生懸命(いっしょうけんめい)やっている。負(ま)けていられない」というライバル心(しん)が起(おこ)ったのです。

我看到之後,忽然心中產生了一種“連小學生都在這麼努力,我可不能輸”的競爭心理。


それはかつての僕(ぼく)の姿(すがた)です。そこに小學生(しょうがくせい)の時(とき)の僕(ぼく)を見(み)ています。かつての自分(じぶん)より今(いま)の自分(じぶん)が劣(おと)っているとは思(おも)いたくないのです。

那是曾經的我的狀態。而在那裡我審視著小學生時的自己。我並不想承認現在的我還不如以前。


自分では買わない本に出會える 餘生,我想和你來一場新的邂逅


図書館(としょかん)には、シーンとした特定(とくてい)な時間(じかん)が流(なが)れています。図書館(としょかん)のあの空気感(くうきかん)全體(ぜんたい)が「がんばろう」という気持(きも)ちを起(おこ)させます。それが「図書館(としょかん)」という空間(くうかん)の素晴(すばら)しさです。

在圖書館,流逝著場景化的特定的時間。圖書館的整體氛圍都讓人產生一種“要努力”的感覺,而這正是它的精彩之處。

高(たか)い本(ほん)は自分(じぶん)では買(か)えません。安(やす)くても、興味(きょうみ)のない本(ほん)は買(か)いません。本屋(ほんや)さんで見(み)ている本(ほん)は、しょせん自分(じぶん)の興味(きょうみ)の範囲內(はんいない)です。その時點(じてん)で、本(ほん)全體(ぜんたい)のごくごく一部(いちぶ)です。

價格貴的書我一般不買。價格便宜、不感興趣的書也不會買。在書店裡看的書,終歸還是自己感興趣的書籍。而這些,只是書的冰山一角而已。


自分では買わない本に出會える 餘生,我想和你來一場新的邂逅


ごくひと握(にぎ)りの狹(せま)いところしかみていないのです。図書館(としょかん)では、「こんな本(ほん)はまず買(か)わない」という本(ほん)が読(よめ)るようになっています。それが図書館(としょかん)の悽(す)ごさです。興味(きょうみ)もなくて高(たか)い本(ほん)は、自分(じぶん)では買(か)いません。それが図書館(としょかん)では読(よ)み放題(ほうだい)です。

自己只能閱讀極少量的,有限的書。而在圖書館,我慢慢開始閱讀了一些自己不會買的書。這就是它的厲害之處。那些既不感興趣又價格偏貴的書,我不買;但在圖書館卻可以看個痛快。


自分では買わない本に出會える 餘生,我想和你來一場新的邂逅


單詞卡


劣る(おとる)②⓪:不如,遜色

極々(ごくごく)①:非常,極

時點(じてん)⓪:時間,時候

ひと握り(ひとにぎり)②③:一把,少量


-END-

你有多久沒有

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