【有聲日語】山口百惠自傳《蒼茫時分》審判(最終)


【有聲日語】山口百惠自傳《蒼茫時分》審判(最終)

どこにぶつけていいのか判らない憤りをひきずって、私は控室への廊下を歩いていた。安堵感とともに、何とも言えない空しさが私の喉を諦めつけた。

——我強壓著無處排遣的憤怒,在通向休息室的走廊裡走著。感到些放心的同時,一種難言的空虛勒住了我的喉嚨。

一瞬、廊下がにじんだ。
一瞬間,走廊弄溼了。

涙。今は、まだ、こんなところで泣くのは絶対にいやだった。聲をあげて泣きたい衝動をかろうじてこらえた。

その後、日本テレビの會議室を借りて記者會見が行われた。地裁を出てからの私はいつもの落ち著きをとり戻していた。

淚水。現在,決不願意在這種地方哭。我幸虧抑制住想放聲大哭的衝動。

後來,我借用日本電視臺的會議室舉行了記者招待會。離開了地方法院的我已經恢復了平素的沉著。

「どうでした」“怎麼樣呀?”

「ええ、案外落ち著いて話せました」“哎,想不到你講起來挺沉著。”

「思っていること全部言えましたか」“想說的全都說了嗎?”


「今日の証言は全て確認だったと思っています。私自身の気持ちは以前調書をとった時にきちんと話しましたので」

“我覺得今天的證詞全是明白無誤的。至於我自己的心情,在此以前接到調查報告書時都已經講清楚了。”


この人たちの前で本音は出せない。素直に「緊張しました」の一言でも言えればどんなに気が楽になることか。しかし、今、私が目の前にしている人たちはマスコミ陣である。いわば闘った敵に近い存在である。この場も負けてはならない。

在這些人面前,我不能吐露真言。要是痛快地說一句“緊張壞了”,心情該多舒坦呀。但是,現在在我面前的人是宣傳機構陣營的,是所謂近於交戰的敵方。在這個場合也不能輸掉。

何かの質問に対して答えた私の言葉の中に「真実ならば仕方がありませんが……」という表現があったのをその言葉尻をとらえて、「真実なら書かれてもいいのですね」と、激しい口調で質問された。あまりの詰問口調に一瞬たじろいだが、「はい」と私は答えた。我在對某個問題的答話中曾說過這麼一句:“要是真實的話就沒辦法了,可是……”有人抓住了這個話柄,又用激烈的口氣問我:“是不是說真實的話,寫了也無妨呢?”對這窮追不捨的盤問,我略顯畏縮,但立刻口答:“對。”



表に出さなかったが、この一言にとても大きな責任を感じていた。書かれてもいいのではなく、仕方がないといったほうが正確である。この中の誰が、いちいち記事を書く時に「これは本當ですか」と私に尋ねてくるだろう。表面上不露聲色,然而對這句話卻掂量出了非常重大的責任。正確地說,不是寫了也無妨,而是寫了也無奈。在這些人當中有誰寫報道的時候,每次都來問過我“這是真實的嗎”?



「これを書きます」と予告する記者などお目にかかったこともない。書かれて、出てしまったものが事実なら「仕方がない」でも割り切れるだろうが、全く事実ではなかった場合、その記事の責任は誰がとってくれるというのだろう。預告說“我要寫這個”,這樣的記者我一個也沒有拜見過。假定寫成後發表了的東西是事實,就是“無奈”也想得通,但是如果根本不是事實,誰向我承擔那報道失實的責任呢?



謝罪文だけで済む問題ではない。あまりに物事を安易に考えすぎているのではないだろうか。ペンが一本あれば人を殺せる、それほどの怖さを持つ活字を扱っているという意識をもっと強く持つべきである。

這不是隻憑道歉書就可以了結的問題。這些人考慮問題也未免過於簡單了。手裡有一支筆就能殺人,他們本應當更加慎重地使用這種使人生畏的報刊文字。


嵐のような一日は、終わってみると実にあっけないもののように感じられた。すぐに判決が下るものではない。あと一年かかるか、半年で終わるか、何も判らない。もし、もう一度法廷へと言われても、闘うべき時にはとことんやらなければならないだろう。しかし正直に言えば、もう二度とあんな思いはしたくない。

暴風雨似的一天過後想想,覺得似乎是實在沒意思透了。不會馬上判決,一年還是半年結案,我一無所知。如果讓我再上法庭,應當鬥爭的時候一定鬥爭到底。但坦率地說,我可不想再去一次。

——その夜、曇り空は雨に変わった。靜かに降る雨がその夜はとても近いものに感じられた。日一日、私を見るほとんどの人が抱いているイメージを演じきった私。おそらく、それは完璧に近いものだったと思う。だが、そうしたことからくる自己嫌悪とも疲労感とも言えそうな寂しさに、私は押しつぶされそうになっていた。

—那天夜裡,陰沉沉的天空下起了雨。我覺得靜靜的夜雨離我很近。我獨自一人呆在房間裡,沒有興致聽音樂,茫然無緒地坐著。今天一天,我扮演了大多數人對我原有的心目中的形象。我想那大概是近於完美的。但是,因此而產生的也許可以稱之為自我嫌棄和疲勞感的悲哀,幾近把我摧毀。

「大丈夫、落ち著いていましたよ」

笑いながら私はこの言葉を繰り返してきたのだった。マネージャー、マスコミ陣、ファン、電話をくれた友人、そして、母や妹の前でも心を偽ってきたのだった。

これでいい。そう自分に言いきかせた。疲れた。窓を叩く雨が痛い。冷たいんだろうか、雨は。少し眠りたい。意識が薄れてゆく。

リーン、電話。部屋の電話が鳴った。受話器をとると耳元に彼の聲が広がった。

“沒關係,我很沉著呀!”

我一邊笑著一邊反覆講著這句話,對經理,對新聞界,對崇拜我的觀眾,對給我打來電話的朋友,就是在母親和妹妹面前,我也要完全偽裝自己。

就這樣吧,我對自己這樣說。累了。叩窗的雨聲使人心碎。那雨是冰冷的吧。想睡一會兒,意識模糊了。

“叮鈴——”,電話。房間裡的電話響了。我拿起聽筒,耳邊傳來他的聲音。


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