一匹のトンボが夏の終わりを告げるわけでない。
一只蜻蜓并不报道夏日的终结。
一片の白雲が秋の到来を知らせるわけでもない。
一片白云并不预告秋日的来临。
しかし、里に下りてきた赤トンボをよく見かけるようになった。
然而,乡村里,红蜻蜓已随处可见。
雲の風情も夕焼け空も、今までとは違う。
云的容姿、天边的晚霞都已改变了模样。
そして高校野球の終わりは、夏の終わりを告げる。
而此时高中棒球赛的落幕,则宣告了夏日的终结。
「夏の終わり」には、客がいっせいに帰ったあとの食卓のような、むなしさがある。
“夏日的终结”就像顾客离席归去后的餐桌,空虚无奈。
人の来なくなった海岸のヨシズ張りの小屋で「氷」のノレンがぱたぱたと鳴るときのような、白々(しらじら)しさがある。
就像海边那已无人问津的席棚小店上那写着"冰"字的幌子,徒在风中飘摆作响而兴尽意阑。
夏の情熱を吹き込んで、きらきら燃えていた太陽が、すべてが終わろうとしているのに、まだ無神経に輝きつづけている。
然而,在这一切行将没落之际,倾注着夏日浓情、煌煌燃烧着的太阳却依然懵懵懂懂地挥洒着光芒。
そのそらぞらしさが、夏の終わりなのだろう。
而这种强装的声势,正所谓夏日的终结吧。