【有聲日語】山口百惠自傳《蒼茫時分》結婚(2)


【有聲日語】山口百惠自傳《蒼茫時分》結婚(2)

「イヤ、僕は……まだ一日や二日じゃ、わかりません」

“啊,我……,才來一兩天,還不知道。”


胸の奧に痛みを覚えた。いつの間にか、その場だけを取り繕つくろうことをしすぎて、本當のことを言う作業をしていない自分を恥じた。

我覺得心裡隱隱作痛,對自己不知不覺逢場作戲、不露真言的行為感到羞恥。


この映畫に入るまでに、私たちはすでに『伊豆の踴子』という映畫でも、共演していた。しかし、私は親しく話をすることができなかった。私の中で七歳という年齢差が、大きな壁となって立ち塞ふさがっていた。彼は、私の世界などに何の興味もない大人だった。

拍攝這部影片之前,我們已經共同主演了《伊豆的歌女》這部影片。我一直沒能和他親密地交談過。因為七歲的年齡之差,就象一堵厚厚的牆壁,隔開了我。他是個對我的世界沒有絲毫興趣的大人了。


それに、何よりも、當時の私は忙しすぎた。時間で一日を區切く ぎられ、次の行動に移る時のキッカケは私自身の決斷ではなく、全て、タイムリミットであった。眠ることさえ自由ではなかった。移動する車の中で睡眠を補充ほじゅうしていた私は、仕事の現場についても目覚められないことがしばしばであった。

何況,主要是當時我也實在太忙了。一天時間被切割成幾段,完全由時間表支配我的行動,而不取決於我的意志。那時連睡覺都由不得自己,我就在下一步行動的車裡補充睡眠,常常到了工作現場還醒不過來。

彼の聲が聞こえた。


「眠ってんのかァ。可哀そうになァ、疲れてんだろな」

窓の外を足音が遠のいて行き、ぼんやりした意識の中で、その言葉だけが心に殘った。

我聽到他的聲音。

“還睡著哪?真夠可憐的,累壞了吧!”

車窗外的腳步聲遠去了,朦朧之中,只有這句話留在我的心裡。


いつの間にか私の目は、彼を追うようになっていた。同じ年代の共演者たちと話す時の彼の笑顔、聲、言葉、全てを追いながら、無邪気むじゃきに溶とけ込こめない自分がたまらなく口くち惜おしかった。何故なのだろうかと、何度か自分に問といかけてもみたが、考えれば考えるほど自分の心がかたくなになっていくような気がした。

不知從什麼時候起,我的眼睛就開始留意他了。我留意他與一般年紀相仿的共演者們說話時的音容笑貌和話語,留意著他的一切,同時又為自己不能天真無邪地與他融洽相處而惋惜不已。這是什麼緣故呢?我幾次問自己,卻越想越覺得失望。


やがて、仕事を重ねるにつれ、少しずつ言葉を交わせるようになり、時には軽口かるくちを叩たたき合あったりもできるようになっていった。だが、もともと會話を得意としない私にとって、それは苦痛でもあった。せっかく話をしていても話が持続じぞくしない。

不久,隨著我們共事次數的增多,漸漸地可以交談些了,偶爾,還能開個小小的玩笑。但是對於我這個本來就拙於言詞的人來說,這也是一種痛苦。好容易開了口,卻不知往下該說什麼。


自分が発した言葉を反芻 はんすうしてみると、面白くないことばかりを言っている。二人の會話はいつも簡単に途絶と だえてしまった。それは、どこかで、もうすでに彼をひとりの異性として意識していた自分に対する、ひとりの女としての自信のなさでもあった。

回頭尋思一下自己說過的話,覺得都乏味得很。這樣,兩個人的對話總是三言兩語就中止了。這也是因為我已經意識到他是一個異性,而我又沒有一個女性的自信。


初めて仕事をした日から、私は彼を「三浦みうらクン」と呼んでいた。まるで學校の友達を呼ぶような気軽さだった。しばらくの間は実際、何の意識もせずあたり前のようにそう呼べていた。だが、ある日突然、彼を「三浦クン」と気軽に呼ぶことにためらいを覚えた。

從第一天工作起,我就叫他“三浦君”,語氣輕鬆得象是在叫學校裡的同學。有一段時間,我實際上就是這樣叫的,象是無意的、理所當然的。有一天,我對於稱他為“三浦君”這個稱呼突然有些猶豫起來。


七つも年下の私が″クン″づけで呼んだりしてはいけない、そんな気持ちも確かにあったが、それよりも、気持ちの內側うちがわで、私はもはや、名前の下にどんな呼稱こしょうをつけても、彼の名前そのものを口にすることに、かすかなためらいを覚えるようになっていた。

比他小七歲的我,是不能叫他“君”的。我確實產生了這種想法。尤其是在我的內心深處,不管在他的名字後面加什麼稱呼,一提到他的名字,我就會感到些微的猶豫了。


そうしている間にも、コマーシャル、『伊豆の踴子』、『潮騒しおさい』、『絶唱ぜっしょう』、テレビドラマ.……、いつの間にか私たちは、ゴールデン・コンビと呼ばれるようになっていた。

我們就這樣一起拍了廣告片、《伊豆的歌女人》、《潮聲》、《絕唱》、電視劇……,不知不覺我們被稱作“黃金的搭檔”。


私たちは、毎日の生活時間のほとんどを共にしていた。親や妹と顔を合わせるよりも多くの時間、彼と共に仕事をしていた。情が移るという言葉で表現されてしまうのは私自身、あまり嬉しくないが、たくさんの時間を共有するうちに、初め「兄さんのような人」という気持ちがわずかながら違う方向へ走っていくのは感じていた。

每天的時間我們幾乎都是在一起度過的,和他在一起工作的時間長於見母親和妹妹的時間。我並不喜歡說“感情變化”這句話,但是在我們共有的許多時間裡,我都感到了開始那種“象哥哥似的”感情,已稍稍改變了方向。


晴海はる み埠頭ふ とうのロケーションがあった時だった。彼の胸に顔を埋めるシーンで、厚手あつ でのセーターを通して、私の耳に響いてくる彼の鼓動こ どうを聞きながら、「この鼓動を特別の意識を持って聞くことのできる女性に……私がなれたら」と思った。

一次,在晴海碼頭拍外景時,有一個我把頭埋在他懷抱裡的鏡頭。透過他厚厚的毛衣,我聽到響在我耳邊的他的心跳聲,我想:“假如我成了以特別的感覺能夠傾聽這跳動的女性……”


それは、まぎれもない、戀の実感だった。

這是千真萬確的戀愛的體驗。


分享到:


相關文章: