【天聲人語】佐藤後裔的聖地

平安中期、藤原秀郷ふじわらのひでさとという武將がいた。琵琶びわ湖畔こはんで巨大なムカデを退治したなど伝承は虛実きょじつないまぜながら、勇猛な武人であったのはたしからしい。平將門たいらのまさかどの亂を鎮圧ちんあつし、將門の首を討ち取ったと伝えられる

平安時代中期,有一位名為“藤原秀鄉”的武將。傳說他以一人之力降服了一隻巨大無比的蜈蚣。雖然該傳說充滿著魔幻現實主義色彩,但其本人似乎確實是一位勇猛武將。據聞他平定了平將門之亂、取下了將門的首級。

▼秀郷の血統は長く栄さかえ、拠點を置いた栃木県とちぎけん佐野市さのしから全國各地へ移り住む。多くは「佐」野の「藤」原氏から、「佐藤」を名乗ったという。佐野市役所の湯ゆ澤ざわ昭あき啟ひろさん(47)たちはそんな昔話むかしばなしに著目。全國に200萬人と推定される佐藤さんの「聖地」として地元を売り出す

藤原秀鄉一族血統繁衍至今,後人自發源地栃木縣佐野市遍佈全國各地。因“佐”野的“藤”原氏,許多後人自報姓名為“佐藤”。佐野市政府湯澤昭啟著眼於這些史實,以全國200萬名佐藤後裔的“聖地”作為賣點,帶動當地發展。

▼昨秋、まず視察したのは和歌山県わかやまけん海南市かいなんし。市內に殘る鈴木屋敷やしきという史跡を根拠に、「鈴木姓発祥の地」を名乗る。全國鈴木サミットの開催地にもなり、盛況だったという

去年秋天,筆者首先探訪了和歌山縣海南市。當地市內留有鈴木公館遺址,因此打出“鈴木一族發源地”的名號。據聞該地還成為了全國鈴木族內大會的舉辦地,盛況空前。

▼湯澤さんたちはこれを參考にし、今年度から地域の活性化に本腰を入れる。語ご呂ろ合あわせで3月10日を「佐藤の日」と命名。新型コロナウイルスの影響で簡略化はするものの、聖地をPRする初めての企畫をきょう東京都內で催もよおす

湯澤昭啟以此為參考,從今年開始正式致力於區域振興項目。並借日語裡的諧音,將3月10日定為“佐藤紀念日”。受新型冠狀病毒的影響,相關宣傳活動將化繁為簡,但今天仍在東京首次推出了聖地宣傳活動。

▼ためしに筆者の周囲の何人かの佐藤さんに尋ねてみると、「クラスに同姓が多く混亂した」「コンプレックスだった」。同姓の人が多いゆえ、個性や特徴に乏とぼしい。そんなふうに感じている佐藤さんが多いのか

筆者試著問了問周圍的佐藤朋友們,他們表示“(以前上學時)班級裡好幾個佐藤,經常搞混”、“(以前因為這個姓氏)感到很自卑。”同姓的人很多,缺乏了個性和特點。原來,有這麼多佐藤後裔懷揣著同樣的煩惱啊。

▼いまの日本で人口の多い姓を順に並べれば、佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺わたなべ、伊藤、山本と続くそうだ(週刊朝日ムック『歴史れきし道どう』)。ありふれた姓でも、ご先祖の活躍ぶりを知れば愛著も湧く。秀郷の城跡から北関東を一望いちぼうして確信した。

現在日本姓氏(人數)排名前七位的是:佐藤、鈴木、高橋、田中、渡邊、佐藤、山本(選自朝日新聞週刊《趣歷史》)。瞭望藤原秀鄉的城池遺蹟到北關東的景色,筆者堅信即便姓氏平平無奇,只要瞭解其背後祖先的光輝歲月,喜愛之情也會湧上心頭。

【天聲單詞】

▲ないまぜ:いろいろのものをまぜ合わせて一緒にすること。

▲活性化(かっせいか):組織などの活動を活発にすること。

▲本腰(ほんごし):物事を本気でしようとする姿勢。真剣な気構え。

▲語呂合わせ(ごろあわせ):數字の羅列などに意味を當てはめて読むこと。

▲PR(ピーアール):広告。宣伝。

▲コンプレックス:精神分析用語。情緒的に強く色づけされた表象が複合した心理。抑圧されながら無意識のうちに存在し、現実の行動に影響力をもつ。

▲愛著(あいちゃく、あいじゃく):なれ親しんだものに深く心が引かれること。

(出典:小學館)

【背景資料】

明治維新によって名字が庶民のものに

幕末に明治維新がおこり、明治の新政府が進める近代化政策の中で、これまでは“特権”だった名字をどのように位置づけるか議論が起こりました。最終的には全國民の把握、戸籍編成の必要姓もあって、庶民を含む全ての國民が公的に名字を持つことになり、名字について多くの太政官佈告(法令)が出されることになります。代表的なものを整理しておきます。

【明治8年】1875年2月13日「苗字必稱義務令」

苗字の登録が普及しないため、1875年に新政府は改めて名字の使用を“義務づける”太政官佈告を出します。これにより、

「これからは庶民も必ず苗字を使いなさい」

「苗字がわからない人は新しくつけて、その苗字を使いなさい」

という命令が出たことになります。上の戸籍法と合わせて苗字の登録が促され、自分の苗字がない(わからない)人は新しく苗字をつけなくてはならなくなったのです。

名字をつける方法とは

明治維新によって、これまで名字を使ってこなかった庶民が名字を使うようになり、新しく名字を決めて登録することになります。この時に、日本の名字の數が爆発的に増えることになりました。江戸時代に把握されていた名字が1萬種類程度だったのが、今では10萬種類以上になっているといわれています。

江戸時代に公家だった人は、「家」を表す名字(九條・近衛・鷹司等)を、武士だった人は領地(名田)の名前(地名)を名字として使うようになります。公家や武士以外の庶民は以下のような方法で名字をつけたといわれています。

<庶民が名字をつける方法>

江戸時代から苗字を許されていたのでその名字を使った

江戸時代以前から持っていた(けど名乗れなかった)名字を使った

地元の莊屋、名主、寺の住職等に名字をつけてもらった

自分で新しく名字を考えて屆出た

名字のパターン(代表的なもの)

名字の付け方は自由でしたが、必ず何かの縁がある名字をつける場合がほとんどだったといわれています。地名を由來とするものが最も多く、全體の8割程度を佔めるそうです。地名を由來とする名字が多い理由は、上で解説した「名字のはじまり」を思い出していただければ納得できると思います。ここでは、代表的な5つのパターンを紹介します。

資料來源:https://ka-ju.co.jp/column/myoji#anc-11

注音、單詞整理:兮然

背景資料整理:青團

朗讀:哈靜,李茂

翻譯:西瓜汁

校對:Murasaki



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